作/美夜深眠様
ほっそりとしたグラスに、金色のシャンパンを注ぐ。さわやかな微発泡の音がして、ベッドルームの柔らかな照明に、光の粒子がきらきらはじける。 「悠さんが初めてすべった曲って、なんだったんですか?」 ボトルをサイドテーブルのワインクーラーに戻しながら、岩瀬はふと、そんなことを問いかけてみた。 ちなみに、シャンパンの送り主は日本フィギュアスケート協会の理事長。添えてあったカードには、“石川悠くんへ、世界選手権の連覇を祝して”というメッセージが記されていた。 「んー?…」 石川は、そろそろほろ酔い加減の様子だった。バスローブをゆるくはおっただけの姿で、ベッドのヘッドボードにしどけなく身をもたれさせている。 淡く染まった頬と無防備な表情が、やるせないほど愛しかった。 「初めてすべったのは…ええと、お客さんの前でちゃんと一曲とおしてやったのは、“キラキラ星”だったな。」 「キラキラ星って、アレですか? あの、“キラキラひかる、お空の星よ”っていう。」 「うん。」 こくん、とどこか幼いしぐさで、石川はうなづいた。それから、ふいに何かを思い出した様子で、クスクスと笑い出す。やはり、かなり酔っているらしい。…いつにもまして、カワイイ。 「六つのとき、初めて発表会でやったのが、それだったんだ。八の字ターンとか瓢箪バックとか半回転のジャンプとかを組み合わせただけの、ほんとにお遊戯みたいなプログラムだったんだけど…俺、あがっちゃって、技の順番めちゃくちゃにしちゃってさ。」 「へえ、石川さんにも、そんな時代があったんだ。」 「しかも、二回もこけた。」 言いながら、石川は楽しそうに笑っている。ということは、失敗談ではあっても、それは今の彼にとっては、すでに優しい記憶なのだろう。 「終わったあと、悔しくてリンクサイドでべそをかいてたら、当時現役だった内藤さんが、“二回こけたくらいで泣くなんて生意気なガキだ、オレなんか、この間の国際大会で四回も転んだんだぞ”って、妙に多いばりで…。」 「あはは、内藤さんらしい。」 内藤は現在、二人のコーチだ。べらんめえ口調で選手を罵倒したおす、世界的に有名な“鬼コーチ”である。 自分のグラスを干しながら、岩瀬は幼い石川の姿を思い描いてみた。 十歳くらいのときの写真は、以前、見せてもらったことがある。 あれよりさらに、小さい石川。 ガチガチに緊張して、ミスして、転んで、リンクサイドで悔し涙に唇をかみ締めて。 「それで、悠さんはなんて答えたんですか?」 「ヘタクソ。」 「………へ?」 「俺は覚えてないんだけど、“ヘタクソ”って言ったらしい。」 「そ、それは……すごいですね……。」 こらえきれずに、思わず岩瀬はふきだした。 あの内藤に、面と向かって“ヘタクソ”と言い放つ六歳児。 さぞかしインパクトのある光景だったことだろう。 (昔から意地っ張りで負けん気が強かったんだ……。) 六つのときから、石川はやっぱり石川だったのだ。そう思うと、どこかくすぐったいような、不思議な嬉しさが岩瀬のうちにわいた。 「岩瀬が初めてすべった曲は、“スターウォーズ”だったな。」 「はい。」 岩瀬がその曲を選んだ理由は、すこぶる単純なものだった。 “スターウォーズ”は、岩瀬がフィギュアに転向する前に所属していたホッケーチームの、選手入場の伴奏曲だったのである。 ………フィギュアスケーターとしての岩瀬基寿の最初の演技は、それはもう、ひどいシロモノだった。 なにしろ、もとは“氷上の格闘技”と呼ばれるアイスホッケーで、フォワードを張っていた男だ。 “ランステップ”と言われれば、フルスピードで爆走する。“ターン”と言われれば、踵でカウンタードリフトをあてて、氷の飛沫を撒き散らしながら曲がる。飛べと言われればとんでもない高さまで飛び上がれるが、着氷はめちゃくちゃ。そのくせ、とにかく決して転びはしないのだから、クラブのコーチ陣は頭を抱えるほかなかった。 「てめえ、フィギュアは喧嘩じゃねえんだぞ!」 内藤に、何度そう怒鳴られたことだろう。 そのころの岩瀬には、フィギュアの基本とも言うべきダンスステップが、まるで理解できなかった。“ヴィニーズ”と言われても、“それって、ただ三歩進むのとどこが違うんだ?”というありさま。そんな岩瀬が、それでも何とかフィギュアスケーターの仲間入りを許されたのは、なにはさておき、飛べたからだった。四回転は、アクセル以外全種類、三ヶ月でマスターした。特別きついとも難しいとも思わなかった。当時世界中のスポーツ記者がこぞって書き立てていたように、まさしく岩瀬は、“おきて破りの怪物”だったのである。 「スゴイ演技だったな、あれは………。」 ひどく優しい表情で、石川がそうつぶやいた。 「俺の“スターウォーズ”がですか?」 「うん。」 うなづいて、いつの間にか空になっていたグラスを、サイドテーブルに戻す。それから石川は、さも信頼しきった様子で、ことんと岩瀬の肩に頬を預けた。 (は、悠さん………!!) 嬉しすぎるシチュエーションだった。やはり飲ませて正解だった。もうちょっと飲ませたら、悠さんのほうからキスしてくれるかも………などと、ついつい、ヨコシマなことを考えてしまう岩瀬である。 「ショックだったよ。おまえのジャンプがとんでもなくすごいのは知ってたけど………存在感が、圧倒的で。ジャンプとジャンプの間の、振り付けもなしにただまっすぐすべってるだけのところだって、目がはなせなかった。」 「悠さん………。」 「他のスケーターがそんなことしたら、普通、みっともなくて目も当てられないぞ? お前は特別だ。助走に入るために身構えただけで、それが絵になるんだから。」 石川にほめられるのは、いつだって、岩瀬にとって何より嬉しいことだった。だから岩瀬は、日差しがこぼれるような笑みを浮かべた。 だが次に岩瀬の口から出たのは、否定の言葉だった。 「ちがいます。」 石川の肩をそっと抱き寄せながら、岩瀬は言った。 「特別なのは、悠さんのほうです。」 「そんなこと言うのは、物好きなお前だけだよ。」 「先月号の“ナンバー”のフィギュア特集、読まなかったんですか? ロスのライターが書いてましたよ。“ハルカ・イシカワは天性のアーティストだ。彼が白銀のリンクの中央に立ち、ゆっくりと目を伏せただけで、世界が変わる”って。俺もそう思います。」 ………拍手が消え、音楽が流れ出すまでの、短い空白。その張り詰めた静寂の中で、石川ほど美しく在れるスケーターを、岩瀬は他に見たことがない。彼はいつもそこで、長いまつげにふちどられたまぶたを、そっと、深く伏せる。それから、演技の始まりを告げるポーズを作るために、緩やかに腕を上げる。 たったそれだけの仕草が、“舞”に見える。 そんなスケーターなど、そんな人間など、世界中に石川悠ただ一人しかいない………。 「アメリカの記者は表現が大げさなんだよ。」 苦笑して、石川はそう言った。謙遜ではなく本気でそう思っているところが石川らしいといえば、らしい。自分の魅力にあまりにも無自覚な石川の感性が、岩瀬にはもどかしくもあり、と同時に愛しくもあった。 (あなたは、どんな顔をするだろう。) ふと、岩瀬は思った。 呆れるだろうか? それとも怒るだろうか。彼ががホッケーを捨ててフィギュアに来た本当の理由が、石川に惹かれたからだということを、今ここで、告白したら………。 「石川さん。」 呼びかけて、視線を落とす。 と、そこには、完全に無防備な、どこか稚くさえある風情で眠り込んでいる石川の姿があった。 ほのかに笑んで、岩瀬は毛布を手繰り寄せた。できるだけ揺らさないように気をつけながら、大切な肢体を、そうっとくるみ込む。 いつか。 そう、岩瀬は思った。 いつかきっと、本当のことを告げよう。 たとえそれで叱られることになっても。 多分、いや絶対に、岩瀬にとっては、その石川の怒った表情さえ、愛しいに違いない。 ALL YOUR MOMRNTS 古いラブソングの一節が脳裏をよぎる。 あなたのすべてを。 あなたのすべての瞬間を。 愛している。 今はまだ沈黙に込めたその思いを、岩瀬はやわらかなキスにのせて、そっと石川の額に置いた。 END |
きゃわわわわ〜〜vv
美夜深眠さまより1000hitのお祝いに、こぉ〜んな素敵なSSをいただきました!
うううう嬉しいですぅっっっっっ(T-T)
氷上の悠さん、想像するだけでうっとりしてしまうわぁ〜vv
岩瀬の豪快4回転ジャンプも見ものですね!!
ありがとうございますぅっっvvv
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